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天藍

Author:天藍
本や映画や舞台の感想など書いてます(たまにね)。うーん、偏ってますかね方向性。お薦めなどあったら教えてくださると嬉しいです。

ソラノアオ。の…
60%は童子についてで出来ています
25%は夢の宇宙誌で出来ています
8%は太陽王と月の王で出来ています
4%は思考の紋章学で出来ています
3%は黒魔術の手帖で出来ています
(「ドラコニア解析」より)

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ソラノアオ。
本、映画、舞台の感想と日記など。かなり偏っていると思いますが同好の士求む。
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たまには真面目に2
LINさん宅にて話題になってましたが(反応遅すぎ)、
「書くことで気持ちのほうは薄まってしまうのではないか」という件。
書くことで、書いたものに自分の一部を乗り移らせる、ということ。

(どうでもいいがこのパソコン、「かく」って変換すると「掻く」になるのでうっとうしいなあ)

突然ですが私、小学校の宿題では、「日記」が一番苦手で嫌いでした。
好きに書けば良いと言われても、ああ思ったこういうことがあったと言葉にしたときの安っぽさがどうも駄目だったのだと思います。今思うと。

多分、「書いたもの」は感じたこと自体の「感じ」、とは全く別のものになってるんじゃないかと思う。
それは自分が持っている言葉の量的・質的な限界でもあるのだろうけど、言葉を重ねるほどに「感じ」たこと自体からは遠くなっている気がする。
「感じ」を「文字」に変換する過程で,感情的・身体的なもの(興奮や寒気や意思や)を言葉の枠の中に当てはめる。その為、「自分が思っていたのはこういうことなのか(?)」と納得いかなくなったり、あるいは逆に「ああ、言葉にするとこういうことになるのか」とすとんと落ち着いたり。

だから、ものすごく興奮した舞台や映画や本については逆に感想文にしないことがあったり、また一瞬言葉として思い浮かんですぐに忘れてしまいそうな「感じたこと」はメモったり。
私の場合、一番最初に感じた「衝撃」っぽいことについてはあえて何も書かないこと、結構ありますわ。
(故に、言語化できる部分をあまり持たなかった本など感想書けない。汗)

自分が受けた「感じ」を他人に追体験させることができるほどの力をもった文章は、きっと自分の中での「感じ」を引き渡すことで言語的な魅力を得る(が故にLINさんの仰るようにお金に変換できる。うーん、一寸マルクスっぽいかも)んじゃないかと思います。

(それこそ思い浮かんだこと殴り書きで多分自分しか理解できない文章ですが今の段階で書き留めておきます)

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